強いて言えば顎の上のニキビ

musical/sweets/mental

共演者をも魅了する花總まり様『エリザベート』8月12日ソワレ

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ここ数日、うだるような暑さが続いているけれど、

15時を過ぎれば肌を刺すような太陽も傾き始め、

青空を楽しむ余裕がでてきた。

むしろ、風が出てきて過ごしやすいものだ。

 

私は、JR有楽町駅から東京帝国劇場へ向かっている。

目的は、東宝ミュージカル『エリザベート』のソワレ公演。

日本を代表するシシィ役者、花總まりの主演回だ。

 

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開演時間30分前ということもあり、会場は観客で溢れかえっていた。

今や東宝ミュージカルの代表作のひとつとも言える人気公演だ。

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ファン達は、会場のポスターや装飾の記念撮影に余念がない。

かくいう私もその1人だ。

 

ソワレ公演のキャストは、こちらの通り。

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この公演何よりの楽しみなのは、当然初見の花總シシィだが、

ルドルフ役から一気にトートへと駆け上がった古川トートにも目が離せない。

『1789』『MA!』と共演が続いている2人が、どのような掛け合いを見せてくれるのか。

 

フードSHOPで軽く腹ごしらえを済ませると、期待とお腹を膨らませつつ、私は座席へと足を進めた。

この時のお供は、資生堂パーラーのビューティプリンセス マンゴー with アロエ だ。

食欲がない暑い夏でもつるっと飲むことができる。

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座席は1階P列29番。

ステージ0番を真正面から楽しむことができる最高の席。

あの鏡の間の純白のドレスを肉眼で拝めると思うと、譲ってくれた先輩にただただ感謝だ。

 

トランペットやクラリネットのチューニングが終わると、照明が落ちていく。

いざ行かん、黄泉の世界へ…

 

 

*エリザベート:花總まり

私が彼女のファンになったきっかけは、初演のエリザベートの最後通告の場面を見たことによる。トートの誘いを激しく突き放し、歌いあげるシーンだ。

 

「嫌よ逃げないわ 諦めるには早い 生きてさえいれば 自由になれるわ」

 

他の娘役達のようにヒステリックに拒絶したり、死へと心が傾きかけたが間一髪で逃れることができたという小芝居感がない。

最初から死ぬことなど眼中にない。母になり、強くなったシシィが死へ逃げようとするのは、

ルドルフを失った時でなければならない(これは私の主観であるため異論は認める)。

彼女シシィは、私の思い描くシシィ像そのものだった。

 

2019年の彼女は、当時よりも何倍も、いや、何百倍も進化していた。

彼女が少女から晩年まで難なく演じきることができるのは、敢えて触れないことにする。

 

彼女の魅力は、感情のこもった歌だ。語りかけるように、歌う。その歌に、磨きがかかっていたのだ。

 

宝塚時代は泣きながら歌っていた「私だけに」。

東宝版では微笑みを浮かべている。この時のシシィは、まだ自由になれることを信じて疑わない。完全に覚醒しきっていない。失望を無邪気さに変えるような、少女の影を残しているのである。

そして、「私だけに(リプライズ)」で、完全に覚醒するのだ。(ここは代表的な「鏡の間」の場面であるため、彼女のドレス・扇子捌きは必見だ。しっかり目に焼き付けてもらいたい。)

 

「私が踊るときは」では、退団後に鍛えてきたミュージカル歌唱が光り、地声はほとんど使うことがなくなった。

前半は周囲に自分を認めさせた喜びに満ち溢れ、声色に笑みが浮かんでいた。これからは自分を貫いていけるという自信と確信をもって、トートを寄せつけない。「ひとりでも私は踊るわ」のフレーズを、完全に地声で歌うことができるようになり、大きな強みになった。

 

「魂の自由」で孤独と自由の間でもがく自分を嘆き、体操室で初めて死へ心が揺れ始める。

「パパみたいに(リプライズ)」の「パパなの?」というフレーズは、絶品だった。

「僕はママの鏡だから」でルドルフを冷たく拒絶する声色や、彼を失った後に涙でぐちゃぐちゃになった歌声。

そして「夜のボート」で晩年を演じきった直後に、「愛のテーマ」で一気に若返ってみせた。

 

後半は駆け足になってしまったが、総じて私が言いたいことは、

『エリザベート』は、彼女の真骨頂である歌を存分に堪能できる作品であり、彼女のシシィを生で観ることができて幸せだということだ。

 

満足度、幸福度が他の作品に比べてとても高い。

 

この日のために私は生きてきたと言っても過言ではない。

 

インタビューでの回答や吹っ切れたような演技をみていると、彼女のシシィを見ることができるのは、もう残り少ないのかもしれない。

だからこそ、この公演を観ることができたのは奇跡に近い。

 

*黄泉の帝王トート閣下:古川雄大

彼のことを知ったのは、『ミュージカルテニスの王子様』の不二周助役だ。

恐ろしいほどに整った顔に、蕩けるようなウィスパーボイス、そして、バレエで鍛えたしなやかなダンスでファンを魅了していた。

しかし、当時の彼には帝劇ミュージカルで主演を張るような片鱗はどこにもなかった。

 

それは、小池修一郎の愛の鞭によるところが大きいだろう。

 

帝劇で彼を初めて見たのは、『MA!』のフェルセン役だった。

残念ながら、相手役の花總まりの怪演に食らいつくのに必死で、見目麗しい騎士以上の印象がほとんどなかったように思う。

しかし、彼も女優花總まりに感化されたうちの1人であることは、インタビューでよく挙げられている。

性別を超えて、彼女の演技をこの公演を含めて一役者として向き合うことで、大きな成長を遂げていった。

 

そのひとつが、皇太子ルドルフである。

花總シシィが帝国劇場で復活を遂げた公演で、彼はルドルフ役として出演していた。

それまでのルドルフは印象が薄く、見目麗しい皇太子以上にはなれていなかったようにみえたが、花總シシィと組むことによって役とひとつになれているような、良い意味で芝居に遠慮がなくなった。

ママと言いながら彼女に抱きつく様がそれだ。

 

そして、トート閣下である。

前述の通り、『MA!』で花總まりと恋人役として勉強した時間が大きな糧となっていた。

 

まず、死という概念が他のトートたちと比べて濃い。

物語序盤は喜び・悲しみ・怒りの感情が単調に見えるだけの、無機物に近い存在だった。

ある種、シシィに抱きつかれて動揺に近い感動を見せるような井上トートとは対照的だ。

 

しかし、シシィを追いかけることによって徐々に愛という感情に感化され、時折涙をみせる。

あの涙が計算されたものであるのならば、彼はとんでもない役者だろう。

そして、愛のテーマでシシィを横たえた後の「はっ」とした表情は、シシィへの愛情に染まった「男」そのものだった。

 

初めてのトート役で、花總シシィに食われることなく新しいトートを演じきった彼に、大きな拍手を送りたい。

 

そして、公演を追うごとに歌唱力に磨きをかけ、ウィスパーボイスはそのままに、最後のダンスのような激しい曲も歌いこなすことができるようになった彼の努力にも。

 

個人的には、体操室の場面でシシィに迫る姿が大変色っぽく、花總カルメンと古川ホセによる『激情』を見たいと思った。

彼女の背中を追いかけて勉強してきた彼なのだから、彼女が好きで好きでどうしようもないホセ役を自分に置き換えることで、難なく演じきることができるだろう。

 

 

 

また、他のキャストの中で特に印象に残っていたのは、少年ルドルフ役の陣くんだ。

彼の歌は子役独特の「譜面通りに歌えれば及第点」というのものではなく、耳障りの良いミュージカル歌唱として成り立っていた。

将来が楽しみである。

 

そしてプリンシパルの歌唱は、さすがの帝劇クオリティ。迫力が違う。

冒頭の「我ら息絶えし者ども」では、エリザベートを見ることができるという嬉しさと相まって、滝のような涙が流れた。

開始数分で泣き出した私の見て、両隣の方々はかなり驚かれたことと思う。

 

 

 

 

 

帝劇から新幹線に乗り込むまでの記憶があまりないのは、満足のいく観劇で心が満たされていたためだろうか。

或いは、花總シシィを今後観ることができないかもしれないという悲しみか、古川トートの色気に充てられたから...

新幹線の窓に映るネオンを見て、花總シシィと古川トートに思いを馳せた。

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